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宇宙消失
グレッグ・イーガン
創元SF文庫文庫
1999年08月27日発行

<ポジティブ書評>

 サイコロをふったとき、我々はひとつの目がでるのを確認することができる。同時に、他の目がでるという状況は存在しなかったことになる。この本では、全てのサイコロの目がでた状況が同時に(確率的に)存在すると考えられている。つまり、サイコロをふるまではひとつだった現在が、サイコロをふることによって六つの未来に分岐するのである。さらに、主人公はその六つの未来から、最も自分が望んでいたものを選択することができる。
 もうひとつ例を挙げれば、たとえば三けたの数字からなるパスワードがあったとする。主人公がランダムにパスワードを入力すると決めたとしたら、そこには千通りの未来が出現する。その中から主人公はパスワードが受け付けられた未来を選択することにより、あたかも一度の挑戦でパスワードを見破ったように見せることができるのである。
 つまり、自分の都合の良い未来を選ぶことができる人間の話なのだが、これがSF風味に理論づけされていているので面白い。作者はそのような状況を理に叶ったものにするために量子力学を用いているのだが、それが直感的に分かりやすいように味付けしてあるのだ。
 ついでに、それにからめて地球と全く異なる法則により存在する宇宙人の存在なども背景にあったり、ナノマシンを利用した人格改造装置がでてきたり、あまり言うと読む楽しみが減ってしまうのでこれぐらいにしておくが、とにかくアイデアにあふれる小説なのである。


<ネガティブ書評>

 とりたてておかしいというわけではないのだが、どうもストーリーに乗りきれない。最大の原因は、主人公が「元警官」として犯罪組織にたちむかう存在でありながら、宇宙規模で起こっている事象を解明する(ほぼ)全能者であることが、うまく溶け合っていないことだろう。一応は、ストーリー前半部分では「元警官」、後半部分では「(ほぼ)全能者」としてすみわけがなされているのだけれど、後半部分はどっちつかずでどうもイライラする。せっかくアイデアが受け入れやすいように整理されているのに、肝心のストーリーが整理されていないために、どうも煩雑な印象を受けるのだ。
 また、私はさほど気にならないのだが、この本では量子力学が適用できるだろうという範囲が我々の感覚を大きく超えている。そのあたりでひっかかってしまうと、この本のアイデアが「都合の良い新理論」という扱いをうけてしまうのではないかと思ったりもする。

…6点




アンドリューNDR114
アシモフ&シルヴァーバーグ
創元SF文庫
2000年04月21日発行

<ポジティブ書評>

 簡単に言えば、人間になろうとしたロボットのはなし。といっても、童話じみたものではなく、いったい人間とロボットの違いは何かということを主眼に、ロボットが人間としての権利を勝ちとっていくさまを時を追って描いている。
 機械と生物の境界をどこにおくかというのは、考え出すとなかなか難しい問題で、特にこの本に出てくるアンドリューのような、極めて人間じみたロボットなどは、機械と判定することは難しい。では、例えばテレビは本当に生物ではないのかといえば、むろん人間によって組み立てられたものだから生物ではないと言い切ることができるのだけど、人間と同じ物理法則のもとに動いているわけだから、全く違う法則を持つ宇宙人から見れば大同小異かもしれない。テレビの電源をリモコンで操作することさえも「他生物に対する傲慢な命令」ということができるのかもしれない。
 おそらくあと数世紀もすれば、もっと高度な機械が登場することになるだろう。人間が限りなく機械に近づき、機械が限りなく人間に近づいたとき、果たして人間が人間であり続けることができるのか。そういう時代に生まれなくて幸いである。


<ネガティブ書評>

 残念なのは、アンドリューが「特別な」ロボットということである。初期のロボットであるために能力の不確定要素が強く、芸術家や哲学者としての才能も持っている。だから、ロボット三原則による思考の規制もかなり柔軟に回避してしまうし、自己主張も強い。むろん、そういうロボットが誕生する可能性がないわけではないけれども、特例はあくまで特例にすぎず、現実にはもっと規格化したロボットしか誕生しないであろうと想像してしまう。
 さらに言えば、非合理的な行動をするロボットは、正しいロボットとはいえない。アンドリューは非合理的であることによって人間に近づいていくのだが、それは一般的なロボットにはありえないことである(そもそも、一般的なロボットは人間になろうとはしないだろう)。だから、アンドリューがロボットではなく人間であると証明することは、一般的なロボットが人間にはなりえないことを証明することにほぼ等しい。
 このはなしは、こういう「特別な」ロボットでないと成り立たないものである。論理によって人間とロボットの類似点や相違点を明確にしようとしている小説が、もともと非合理的なロボットによって成り立っている限り、現実味を帯びることはないだろう。

…7点




ソングマスター
オースン・スコット・カード
ハヤカワ文庫
1984年03月31日発行

<ポジティブ書評>

 人の声に歌を聴き、歌からその人の人生を知るという能力を持った少年アンセットの話。アンセットは、感情の奔流を歌で増幅することができ、またあらゆる感情から身を切り離すことができる。つまりは超能力者であるのだけれど、それを歌に置き換えたことで人間同士の交感が深く描写されている。
 大きなテーマは「理解」である。幼いころ誘拐に巻き込まれたアンセットは自分のルーツすら理解することなく、ただその美声を見出され、一流の歌い手になるためソングハウス(養成所)で訓練を積む。そして、歌によって、あるいは沈黙によって、相手を理解し、理解される。相互の理解が足りないときには、しばしば悲劇的な展開が訪れるのであるが、それを乗り越えていくアンセットの姿は、けなげであるとともに力強い。数奇な運命をたどり、老人になったアンセットは再びソングハウスに戻ってきて、自分の全てを歌によって表現する。アンセットが最後に言う「ここに来た目的は、もうすべて果たしてしまった」というセリフは、本当に身にしみるようなセリフである。
 なんというか、いわゆる歴史に残るような本ではないと思う。インターネットで見つけたこの本に対する書評をいくつか読んだが、必ずしも肯定的な評価ばかりではない。どちらかといえば、あっさりとした書評が多かった。だが、少なくとも私は「ああ、この本があれば五杯はメシが食える」と思った。実に、重い感動を残してくれる本なのである。


<ネガティブ書評>

 むろん、気になる点がないわけではない。例えば、アンセットは美声を妨げる声変わりをしないように去勢のような処置をされているのだが、このあたりなどはアンセットが「道具」扱いされているように感じられて、とても嫌な感じだ。あるいは、一対一の愛に執心したり、人類愛に執心したりと、ひとりの人間が一定した考えかたをもたない点なども、人間描写の効果を弱めているように思う。まあ、あえて言えば、という程度のことであるが。

…8点




今はもういないあたしへ…
新井素子
ハヤカワ文庫
1990年01月31日発行

<ポジティブ書評>

 解説から引用。「『ネプチューン』は、昭和五十六年の作品です。うわー、昔、だ。当時は私、まだ大学生なんぞやっておりました。」
 …じゃあ、しかたないよね。


<ネガティブ書評>

 この本には二編の短編が収録されている。どちらもすごいが、特に一編目の『ネプチューン』がすごい。485円という価格がとてつもなく高く感じられるぐらいすごい。嗚呼、これほどまでにすごい小説をよくぞ書いてくれたものだ。
 具体的な点をいくつか挙げてみる。
 例えば、この小説では、カンブリア紀に高度な知能を持つ(あっという間に現代の日本語を理解できるぐらいの)水棲人類がいた、という設定がある。誰でも「そんなとんでもない仮説を立てるからには、きっと詳細な根拠が用意されているに違いない」と思う。ところが、その理由は「この先どんな生物になる可能性をも秘めているからこそ、人間になったんだろうと思う」とある。他に理由はない。これは、すごい。
 しかも、そのカンブリア紀の水棲人間はタイム・トンネルを通って現代にやってくる! なぜタイム・トンネルができたのか。地震が起きたからだ。しかも、「今の処、タイム・トンネルはそこにあるというだけで――どういうメカニズムなのか、何一つ判らない」のである。これは、すごい。
 水棲人間はカンブリア紀の生物にも関わらず、現代人に恋をする。その理由は、現代人に怪我をさせたのに優しくしてもらったからだ。実に繊細な古代人である。これは、すごい。
 とにかく、とてつもない本である。

(あとから追記)上の水棲人類についての設定は間違い。カンブリア紀の原始生物がタイムマシンを通るうちに人間に進化したそうです。と掲示板で教えてもらいました。

…3点




地球最後の日
P・ワイリー&E・バーマー
創元SF文庫
1998年03月27日発行

<ポジティブ書評>

 なんだか、SFを読んでいるというよりも、昔読んだ学研の科学記事を読んでいるような感じで、ほっとする。それもそのはずで、この小説は1933年に書かれたらしく、あっと驚くような新理論や技術がでてくるわけでもなく、世界観もごくまっとうなため、頭を激しくひねる必要はない。だからといって、決して物足りないという類の本ではなく、きちんと押さえるべきところは押さえていて、ハラハラする場面もきちんと用意されてある。非常に読みやすい本であるということだ。
 たぶんこの本は、読んだ年齢によって大きく印象が変わると思うのだけれど、中学校の図書館に寄贈したりすると、その後の人格形成に良い影響を与えるのではないか、と思う。


<ネガティブ書評>

 確かに「地球最後の日」を迎える小説ではあるものの、その主眼は地球破滅の日に地球から脱出しようという科学者たちにおかれていて、片手落ちであるように思う。地球に残された人々の描写がぞんざいなのだ。きっと、いまどきのSF作家がこんな小説を書いたら、綿密に地球最後の日がどうなるかということをシミュレートしてくれて、微細にわたった迫真のシーンをちりばめてくれると思う。それが、この本ではやけにあっさりしていて、個人的には末法思想のはびこる地表の様子がもっと読みたかった。
 ついでに言えば、終わりかたもやけにあっさり風味で「あれ、これで終わり?」とつぶやいてしまうかもしれない。もちろん、読み進むうちにだんだんと破綻してきて、なにやら形而上的な終わり方をするような小説よりはずっといいのだが、ねばこい人が書けばもっと面白くなったかもしれない。

…6点




シティ・オヴ・グラス
ポール・オースター
角川文庫
1993年11月10日発行

<ポジティブ書評>

 透明な文章である。本を読んでいるというより、音楽を聴いているというのがふさわしいような、文字を意識させない文章である。これは、オースターの書く他の作品にも共通する点であり、それに魅力を感じてしまえば、何冊も彼の作品を買いこむことになる。ストーリーやアイデアで読ませる本でなく(もちろんストーリーも秀逸なのだが)、文章それ自体に魅力がある本なのだ。どことなく現実感がない、夢を見ているような小説であり、つかみどころがなく、それでいてエッセンスが自然に頭にはいってくる。エレガンスな女性が読むと似合いそうな、そんな本である。
 なお、この本の姉妹作として、『幽霊たち』(新潮文庫)『鍵のかかった部屋』(白水社)があり、三冊で『ニューヨーク三部作』を形成している。いずれも、面白い。


<ネガティブ書評>

 読むと物足りない気分になる。語られない部分が多すぎるのだ。
 この文章は徹底して主人公の視点から書かれた小説であり、そこに文句をつけるつもりはない。とはいえ、そのせいで主人公以外の登場人物の動きが読めない。特に、この本は人間が微妙に不自然な行動を起こす。あまりに微妙なので、その場では気にかからないのだが、それがつもると頭にひっかかるようになる。だが、相変わらず語られることは少なく、こちらの想像で補うしかない。これは結構つらい。どうも頭に霧がかかったような気分にさせられる本ではある。

…7点




闇の天使
ジャック・ヒギンズ
ハヤカワ文庫
1999年12月10日発行

<ポジティブ書評>

 女暗殺者と凄腕の元テロリストとの対決を描いた本である。特に深い背景はない。冷戦が終了して以来、スパイやテロリストの登場する小説がめっきりつまらなくなったという話をよく聞くが、やはり現実の動乱がないと、読者をひきつけることは難しいのだろう。
 本書は、そういう時代に産まれた本である。往年のパターンを踏襲したアクション小説ではあるものの、読んでいるうちに気分が高揚し、血液の温度が五度ばかり上がっていくような本だ(同種の本を読んだことがなければ)。大御所が書いたらしく、安定した実力を見ることができる。720円を払って新しいものを買う価値があるかどうかは疑問だが、アクション小説が好きで好きでたまらない人にはお薦めだ。


<ネガティブ書評>

 文庫の最後にある解説(服部真澄による)を読むと、やはりあまり誉めたくはないのだろうな、ということをうかがわせる。解説なんてものは、常人が到底「いいなあ」なんて思えないところを、何かと理屈をこねて美点にしているもので、この本もやはりそういう傾向がそれなりに見られるのだが、行間から失望がにじみ出ているのが分かる。
 この本のつまらなさは、解説にある『拠り所のない暴力行為』『心情を見せずに闘う者たち』という表現に集約されている(解説者はここから誉めにつなげようとしているが)。人を何人死んでもドラマ性がない。ただ、怠惰に殺し(殺され)ているだけなのだ。うわべのアクションシーンをはがせば、そこに残るのはのっぺりとした文字だけだ。ヒーロー無きヒーロー小説とは、この本のことだろう。

…4点




ぼっけえ、きょうてえ
岩井志麻子
角川書店
1999年10月30日発行

<ポジティブ書評>

 著者は岩井志麻子である。なんだか、名前を聞いただけで怖い本を書きそうだが、実際この本はホラー小説である。とはいえ、実のところそれほど怖い本ではない。内容は「ホラー」というより「怪談」なので、語り聞かされたらこれは怖いだろうが、字を追っているだけでは怖くもなんともない。そう、思っていた。
 しかし、ストーリーの中に印象的なシーンがいくつかある。詳述は避けるが、布団に入って寝ようとしているときなどに、ふとそのシーンが頭に浮かんでくる。通常ホラーの効き目などというものは一日二日だと思っていたが、半月ほどたってから克明にイメージが浮かんできたから驚いた。そして、怖かった。そういう本である。


<ネガティブ書評>

 内容は特に良くもなく、悪くもなく。驚くほど意外な展開はない。やはり、特徴的なのはその文章の形式であろう。女郎の寝物語として、岡山弁で語るという形式だ。「ぼっけえ、きょうてえ」というタイトルも岡山弁で「とても怖い」という意味であるらしい。らしいのだが、私は確かめていない。はたして、岡山のかたがこのような語り口をするのかどうかは知らないが、あまり聞きなれない(読みなれない)文体であることは確かだ。閨物語という言葉から想像するとはほど遠い語り口である。「じゃけん」で文章を締められると、どうも違う物語を想像してしまう。単に耳慣れていないだけであるのかもしれないが、作家の力量次第でもっと流麗に仕上げられるのではないかと思った。

…5点




図書館長の休暇
ジェフ・アボット
ハヤカワ文庫
1999年12月10日発行

<ポジティブ書評>

 殺人事件がおこって、それを素人探偵の主人公が解決するということだから、これはミステリと思ってよいのだろう。しかし、正直言って事件の行方はまるきり気にならない。むしろ、主人公の家族関係とか、その愛蔵劇、恋人との間に生じる確執などを読むほうがずっと面白い。また、それが正しい読み方であろう。
 この本はシリーズもので、すでに「図書館の死体」「図書館の美女」「図書館の親子」の三作がでているのだけれど、訳者あとがきによれば、第五作目が米国でもいまだに発表されていないらしい。それを聞いただけでがっかりしてしまうほど、続きが気になる本である。これから主人公と恋人の関係はどうなるのだろう。


<ネガティブ書評>

 くだらないことだが、正直いって登場人物の名前が格好悪い。ひょっとしたら米国では普通の名前かもしれないし、これを読んでいる人で同じ名前を持つ人がいたら気を悪くしないで欲しいのだが(いないと思うが)、正直いってシリアスな話に似つかわしい名前だとは思わない。主人公の名前は「ポティート」 恋人は「ウェンディ」 義父が「ボブ・ドン」 別にとりたてて悪いというわけではないのだけれど、アメリカンコメディに出演したほうが似合うような気がしないでもない。
 そのせいではないと思うのだが、全体に「もっさり」とした印象がする。すくなくとも「シャープな」という形容が似合う文章ではない。脇役をもっと削ればシャープにとぎすまされた文章にできるんじゃないの、と思ってしまう。こんなに分厚い本じゃなくてもよかったんじゃなかろうか。個人的には、主人公とその恋人がいれば満足。

…6点




エイジ
重松清
朝日新聞社
1999年02月01日発行

<ポジティブ書評>

 読んで損はない本であることは確かだ。しかし、誉め言葉がうまくでてこない。非常に「正統派」な小説であり、久しぶりに「文芸作品」を読んでいるな、という感触を味わうことができた。最近刊行された本であるし、全く違和感なく最近の風俗をとり入れているのにも関わらず、懐かしさを憶える文章である。それほど特化した趣味を持たない人にぜひ読んで欲しい本だ。


<ネガティブ書評>

 面白いのは確かである。すんなりとストーリーの中に入りこめ、様々なエピソードのゆくえを楽しみにしつつ、最後まで飽きさせることがない。だけど、あんまり長持ちしそうにないな、とそんなふうに思う。思わず本に線をひきたくなるようなフレーズは多くない。一か月後、二か月後にこの本の内容を思い返せるかいえば、どうも自信がない。文章も内容も、滑らかに頭の中を通りすぎて行く。
 例えるなら、夏にソフトクリームをなめているようなもので、それでも充分満足できるのだけれど、できることならガツンとかき氷を食べたい。

…6点





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