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航路
コニー・ウィリス
ソニー・マガジンズ
2002年10月10日発行

<ポジティブ書評>

 小説を読んでいて、こんなに感情を動かされたのは久しぶり。本書は三部構成になっているのだが、第一部では恐怖、第二部は頭をひねらされ、第三部でじわりと涙が。とにかく途中で止めることができなくて、徹夜で読んでしまった。私好みの小説ではないのに、どうしてこんなに読まされてしまうのか。
 特に圧巻は第一部。第二部、第三部はもっと短くてもいいと思うが(マンドレイクもいなくていいぐらい)、第一部で味わった重い戦慄には、自分が死に対して抱いている原始的な恐怖感を強烈に意識させられる。「死」は観念的にとらえてしまうことが多いけど、実はもっと身体にしみこんでいることを気付かされる小説。


<ネガティブ書評>

 メイジーはよかったけど、他の登場人物は微妙。
 特にリチャードの行動基準が定まっていないように見えて、そのわりにストーリー上の重要な位置を閉めているのでイライラする。リチャードの研究は、研究のための研究なのか、それとも何かに突き動かされているのか。結局、リチャードにとってジョアンナの存在とは何だったのか。もともとキャラクターで読ませる小説ではないにせよ、これが相手ではジョアンナかわいそう。

…8点




ヴァーチャル・ガール
エイミー・トムスン
ハヤカワ文庫
1994年10月15日発行

<ポジティブ書評>

 人の手によってつくられた乙女の物語。全体を通して少年少女向けの小説のようで読みやすいが、それだけではない。「ロボットと人間」というテーマをなんとなく考えさせられてしまうような作品だ。
 たとえば、「自意識を持つ存在を創造できるのか」という問題。技術的な問題ではなく、「私は私だ」という考えと「私は創られた存在だ」という考えが矛盾しないですむかどうか。そして、どちらかが卓越するとしたら、それはどんな結果を生むのか。
 あるいは、「自意識を持ったロボットは人間を尊重するのか」という問題。SFで描かれるロボットの能力は、人間を超えることが多い。とすれば、ロボット三原則などに縛られていなければ、ロボットが人間を尊重する必要はない。ところが、ドラえもんはのび太の奴隷なのであり、まれに苦悩することはあっても、結局はのび太を甘やかすのだ。このときのドラえもんの心情をいろいろ推測することはおもしろい。
 本書は他のさまざまなテーマに対しても、ストーリーの中で答えを見せている。それは、人によっては承服しがたい答えかもしれないが、ひとつの可能性を提示してくれているし、「ロボットと人間」という連綿と続くテーマの広がりを見せてくれる。


<ネガティブ書評>

 簡単にストーリーの概要を紹介する。
 ヒューマノイド型ロボットのマギーと、それを創り出した天才エンジニアのアーノルドは、スラムに身を潜めながら各地を放浪する。人工知能の開発が禁じられている時代であり、また、アーノルドには大企業のオーナーである父からの追っ手がかかっている。やがて、ある事件をきっかけにアーノルドとマギーははなればなれとなる。マギーはそのままスラムに潜伏し、アーノルドは父の死を知ってその跡を継ぐこととなる。
 この作品を読んで、最もわけがわからないのは、アーノルドの性格である。マギーにとって、アーノルドは創造主であり、教師であり、恋人でもある。マギーが誕生した当初は、右も左もわからないマギーに対してアーノルドは教師である。
 だが、マギーがすっかり人間と見分けがつかないほどになると、教師としてのアーノルドの役割は終わり、恋人のようにふるまって放浪生活を送るようになる。
 やがて、父の跡を継いだアーノルドは放浪時代に知り合った女性と結婚する。ここでマギーとの恋人関係はアーノルドの中で解消されたのかもしれない。アーノルドは、やがて再開したマギーの人格プログラムをコピーし、大量生産ロボットをつくろうとする。つまり、マギーを「所有物」として扱う。
 こうやって整理してみてわかりやすいのは結構なのだが、わかりやすすぎる。どうしてアーノルドはそれほど単純な思考回路の持ち主として描かれなければならないのか。まるでスイッチで感情を切り替えているかのようだ。ストーリーの都合といわれればそれまでだが、マギーが限りなく人間に近いロボットである以上、アーノルドは「本当の人間」でなければならないと思う。マギーの人間とは異質な思考をたどる以前に、アーノルドの非人間的な(ロボット的な)思考にひっかかってしまっては興が覚めてしまう。

…7点




プリンセス・ブライド
ウィリアム・ゴールドマン
ハヤカワ文庫
1986年05月31日発行

<ポジティブ書評>

 どことなく捨て置けない雰囲気を持つ本なのである。というのも、文章が実に私好みのバカさ加減を持っているからだ。いくつか例を挙げようかと思ったけれど、どうもよいところが見つからないので、ぜひ本屋で「第一章 花嫁」などをパラパラとめくって、この心地よいバカさ加減を味わって欲しいと思う。全体を読み返すのではなく、気に入ったフレーズのみを読みたくなるような、そんな本。
 あと、お勧めポイントをいくつか挙げるとすれば、まずこの本は異常なまでに読みやすい。多分、2〜3時間もあればすぐ読める。それから、文庫にしては珍しく二色刷り(黒と赤)なので、なんとなく綺麗。


<ネガティブ書評>

 ストーリーはそこそこ面白いけれども、この本でなければ、この作家でなければ読めないというようなものではなく、まあなんとか及第点かなというところ。妙に話が整理されているのも気になる。登場人物たちはそれなりに魅力的だけれど、特に突き詰めて描かれたようでもなく、かろうじてヒロインの名前が記憶の片隅に残るかな、というところ。表紙とタイトルをみたときに「そこそこ楽しめそうだ」と思ったけれど、まったくそのとおりだった。ある意味では期待通り。一応付け加えておくと、おそらく作者もそういう作品を意図したのではないかと思われる。ちょっと作者が作品にでしゃばりすぎかなというところもあるけれど、たまに効果的に介入しているときもあり、全体としてはそれほど気にならない。中世を舞台にしているのであれば、もっと毒々しいほうが、私は好きだったろうと思う。まだまだ完成度を高める余地がある本であり、そうすればきっと記憶に残る本になるのだろうと思う。

…6点




自由軌道
ロイス・マクマスター・ビジョルド
創元SF文庫
1991年08月30日発行

<ポジティブ書評>

 解説で山岸真氏がこう書いている。「SFファンのあなたは、SFを読んだことがない人(映画などでSFに接してはいるが、SFを意識していない人)から、『SFって面白いの』と質問された経験があるだろう。/そこであなたが、論より証拠と何冊かの本を貸すことにしたとする。/(中略)本書を読みおえた方なら、そんな一冊としてためらわずに本書を手渡すに違いない。」
 そういう本である。従来、そういうときによく例に出されていたのが『夏への扉』とか『アルジャーノンに花束を』とか、いわゆる「甘っちょろい本」だったのだけれど、この本はそれに輪をかけて甘っちょろいのである。そこがいい。ご都合主義がどうした。都合のいい展開だからこそ、爽快に文章を読み進めることができるのだ。これこそ小説の快感だ。


<ネガティブ書評>

 なんだかどうしても違和感を感じることがある。
 遺伝子操作によって足のかわりに手がついている新人類クァディー。その新人類が新世界に向けて逃亡する、というのがこの小説のおおまかなストーリーだ。この小説のなかではクァディーおよびその味方こそが正義であり、逃亡を阻止する人間は悪だ。そのものすごく単純でリアリティのない構図が、わりと深刻な世界観とどうしてもマッチしない。
 悪には悪の正義があるというのは、わりと基本的なことだろう。特に、この小説で扱われているようなテーマならば、悪にとっての大義はいくらでもあるはずだろう。ところが、悪の側のあつかいが実にぞんざいである。何をやっても失敗続きで、人間的魅力もまるで無い。これは少々かわいそう。

…8点




デスペレーション
スティーヴン・キング
新潮文庫
2000年12月01日発行

<ポジティブ書評>

 中性的な美少年を読みたければカード、マッチョな男を読みたければヒギンズ、ジェントリーな男を読みたければアーチャーといった感じで、それぞれの作家にはそれぞれに期待する登場人物がいる。ところが、キングの場合はそれがない。恐怖におびえる親子とか、いかれた中年男性とか、そういうのが多く出てくるけど、どれも単にそういう配役をふられた役者の演技を見ているみたいなもんで「待ってました」という感じではない。
 だけど、この作品で出てくる「理屈は多いけどやるときゃやる男」がなかなかに格好いい。思えば、キングの作品に出てくるある一定年齢以上の男性というのは、どうも頼りないのが多かった。終盤で発狂するとか、手違いで殺されるとか、そういうイメージが強い。しかし、こいつは違う。世にもめずらしいぐらいにナイスガイだ。というわけで、キングはこういう人物を描くのが実は上手いんじゃないかと思った。


<ネガティブ書評>

 前半怖くて後半怖くない、というのはホラー小説全般にいえることかもしれない。特に人間以外のモンスターが出てくると怖くなくなる。ついでに発狂した人間というのも、あまり怖くない。やはり一番怖いのは正常な人間である、というのはわりと多くの人に賛同してもらえる事実なんではないだろうか。実生活においても、例えばチラノサウルスが襲ってくるのと、隣人が悪意を持った行動を仕掛けてくるのとどっちが怖いのかと問われたら、やはり後者だ。チラノサウルスは無言電話をかけたり、盗聴器を仕掛けたりはしないもんな。
 この小説も前半までは、まあよかった。ちょっと壊れ気味ではあるけれど、きちんと(?)「悪意を持った正常な人間」の範疇に入っていた。後半になると、完全に人間の範疇ではなくなってしまった。全般に静かなトーンの小説で、ドタバタシーンがあまりなかったのが救い。

…6点




ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密
レベッカ・ウェルズ
早川書房
2000年04月30日発行

<ポジティブ書評>

 ひとつひとつのエピソードが実に鮮やかに響く。たとえば、熱心なカトリックの信者である母によって、修道院に送られた娘の苦難の日々。親友とも、今までの生活とも切り離された娘はしだいに輝きを失っていき、ついには肉体も精神も荒れ果ててしまう。手を差し伸べる人はいない。娘が母に許しを請い、救いとひとかけらの愛情を求めて手紙をつづるのだが、母の耳には一切それが届かない。大げさでもなんでもなく胸が痛むような場面だ。
 そんな鮮やかに切り取られたエピソード群が、決して寄せ集めではなく、物語の必然として随所にちりばめられている。母娘の確執という影とヤァヤァズたちとの友情という光が織り成しあってつくるストーリーは、まさに「聖なる」という言葉がふさわしく輝いている。特に、ラスト間際の「巨象ラワンダのエピソード」は、これだけでもこの分厚い本を読む価値があるものだ。


<ネガティブ書評>

 実のところ、幼い頃の虐待が原因で、大人になって精神的なトラブルを抱えるようになる人物がでてくると、私はちょっとひく。それをいっちゃあおしめえよ、という気がする。もちろん幼児期の育てられかたというのは、きっと人格形成に大きな影響を与えるのだろうけど、それを分かりやすいかたちで示せば読者もなんとなく分かったような気になれるのだろうけど、だけどやっぱり「逃げられた」という気になる。それですべてを説明できると思っているのが嫌だ。しかも、この本では母娘二代でこのパターンだ。新機軸のつもりなのだろうか。
 この本の基本的なストーリーは、一冊のファイルをもとに、母の過去を娘が追うというものだ。母の過去が明らかになるにつれ、自分がいかに愛に囲まれて生きてきたのかを娘は知ることになる。そして、ラストで母と娘のあいだにあった亀裂はすっきり解消するのである。こんなにすっきりトラブルが解消してしまうと、娘の精神状態がかえって心配になってしまうほどだ。ちなみに娘の年齢はほぼ40歳。とてもそうは思えない。

…6点




ブラッド
倉阪鬼一郎
集英社
2000年04月10日発行

<ポジティブ書評>

 何にしても、よく死ぬ。最初の死者が出るのは8ページ目。四歳の少女がフォークをつかんだウエイトレスによって刺殺される。13ページ目に二人目が死ぬ。この調子で、ばたばたと人が死んでいく。雑誌の記事なんかでミステリ作家が殺した人間の数なんかが載っていることがあるけれど、そんなものとは比較にならない。数ページにひとりの割合で死んでいく。こいつは主役級だから、まず死なないだろうと思っている人間すら、あっさりと死んでしまうのである。
 しかし、読んで感じるのは単純な恐怖だけではない。つまらないホラー映画なんかで狂人が人を殺して、「うわあ、怖いやつだなあ」なんて感じるのとはまるで質が違う。感じるのは、自分がそれだけの潜在的殺人者に囲まれている、という恐怖だ。その他大勢であろうと、主役級であろうと、簡単に死と狂気にとりこまれてしまうのである。本のなかで特別扱いされる人間がいないだけに、読者自身もそこに身をおくことができず、本の中にとりこまれてしまうのだ。


<ネガティブ書評>

 あくまで雰囲気を楽しむ本だということだ。ストーリーを楽しむ本ではない。一応ストーリーらしきものはあるのだが、オカルトがらみなので、頭をつかって楽しむような類のものではないのである。それだけに、どれだけこの雰囲気に入り込めるかが問題となる。残虐シーンが嫌いな人は論外だろう。そういう人は、読んでも不快になるばかりだ。はっきりいって、この世界にどっぷりと肩までつかることができるのは、ほんの一握りの人だけであると思う。たいていは、あまりに簡単に人が死んでいくのを読むうちに、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまうのではないかと思う。
 ふつうの本は、主人公の動きを追って、自らそこに身を置いて楽しむことが多い。この本には、それが通用しない。快調に読み進んでいるうちはよいが、いったん中断してしまうと、なかなか続きを読む気にはなれないだろう。

…6点




水霊 ミズチ
田中啓文
角川ホラー文庫
1998年12月10日発行

<ポジティブ書評>

 いわゆる、良い意味での馬鹿馬鹿しい本である。古代神話とからめて詳細に設定された背景と人物たち。主人公たる民俗学者が語る薀蓄の数々。その全てが、頭のなかを素通りして、三日もすれば全てを忘れることができるのである。つまりは、そういったものでおどろおどろしい味付けがなされているとはいえ、この本の本質はそういったものではない。素頓狂な登場人物たちの行動を、苦笑いしつつも眺めるのが楽しいのである。
 登場人物たちはおよそ協調性のない者ばかりで、最後の最後まで自分の都合を述べ立て、最後の最後まで自己主張の強いやつばかりである。なかなかこういう人たちと行動するのは疲れるだろうなと思うけど、彼らを見つめるのは楽しい。彼らがお互いぶつかり合いながらちっとも成長しないのが楽しい。それはもう「お前なあ……」とつぶやくぐらいしかできないほどなのだ。


<ネガティブ書評>

 怖いわけでもなく気味が悪いわけでもなく、ホラーとしてはたいした本でないと思う。全体に作者による恐怖の押し売りみたいな雰囲気があって、じんわりと湧きあがってくるようなドキドキ感がないのである。 例えるなら、一流のホラーが自らの手探りで歩いてくお化け屋敷だとしたら、この本は小奇麗な運搬車に乗せられてレールの上から見物させられるホラーハウスみたいなものだろうか。どちらかといえば、ああいうのは怖いというよりも楽しい雰囲気になってしまうので、どうも個人的にはいただけない(主催者は楽しんでもらいたいと思っているのかもしれないが)。一度入って、二度と入りたくないと思えるような、それでも心臓をどきどきさせながら入りこんでしまうような、そういうのが理想だ。

…5点




女たちのジハード
篠田節子
集英社文庫
2000年01月25日発行

<ポジティブ書評>

 想像してた内容とは全然違って、ジハード(聖戦)というからにはもっとファンタジックな本だと思っていたのが、実はちゃんと現実世界で女がどう生きるかということを書いた硬派な本だった。しかも、女性が書いた女性の本にありがちないやらしさは全く感じられない。想像がはずれて嬉しい、という類の本である。
 何が心地よいかといえば、何より様々な人生を歩む女性たちがいて、それをお互い否定するわけでもなく(一部例外あり)、追随するわけでもなく、それぞれ自分の持ち味を生かしているというところだろう。もし小説内の登場人物を利用して作者の思考を垂れ流すような小説であれば、読者の想像力を限定するばかりで面白みがない。この小説は、作者が一段上の視点に立つことに成功して、読者の想像力を自由にはたらかせてくれる。
 文章の読みやすさも抜群なので、一気に読んでしまえるありがたい本である。


<ネガティブ書評>

 ちょっと気にいらないところがあるといえば、ある。この小説には数人の女性が登場するわけだけど、それぞれが「愛のない惰性的結婚」「愛のある積極的結婚」「留学」「経営者」などの運命(進路)に行きつくようになっている。しかも、容易に予想しうるだろうが、小説中で不幸だと言えるのは唯一「愛のない惰性的結婚」をした人物のみ。あとは、いわゆる「生き生きとした私らしい人生」を歩んでしまうのである。
 つまりは、「男性優位社会に負けずに自分らしく生きよう」ということで、あまりに調子よく話が運びすぎて「夢を見過ぎなんじゃないんでしょうか」とつぶやきたくなることもある。こういった「自分らしく生きた → 成功した」というパターンの小説は、よほどリアリティがないと、「自分らしく生きれば成功するんだ」という幻想を生むばかりで教育上よろしくないのではないかと思ったりもする。

…6点




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